堂本 印象 / INSHO DOMOTO
◆経歴
1891年(明治24年) 12月25日、酒造業堂本伍兵衛、芳子の三男として京都に生まれる。本名三之助。兄に芸能研究家・寒星、漆芸家・漆軒、弟に後年印象の元で印象の芸術専念のために尽くした四郎がおり、5人の妹のうち、3人は森守明、山本倉丘、三輪晁勢ら日本画家にそれぞれ嫁いだ。
1910年(明治43年) 19歳 京都市立美術工芸学校図案科卒業。
三越図案部に関係した後、西陣の龍村平藏の工房に勤め、図案を描く。
1912年(明治45年/大正元年) 21歳 この頃自ら「印象」号を名乗る。
1918年(大正 7年) 27歳 京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学。
1919年(大正 8年) 28歳 第1回帝展に《深草》が初入選する。
1920年(大正 9年) 29歳 西山翠嶂 画塾青甲社に入門。
1921年(大正10年) 30歳 京都市立絵画専門学校卒業、続いて研究科に進む。
1924年(大正13年) 33歳 京都市立絵画専門学校研究科を修了。
第5回帝展審査員をつとめる。(この後、8、10、12、14回展の同展審査員をつとめる)
1925年(大正14年) 34歳 第6回帝展出品の《華厳》により帝国美術院賞を受賞する。
1929年(昭和 4年) 38歳 第10回帝展に《木華開耶媛》を出品。
1933年(昭和 8年) 42歳 画塾東丘社を創立し、主宰する。
1936年(昭和11年) 45歳 京都市立絵画専門学校教授となる。(昭和16年5月まで)
1952年(昭和27年) 61歳 5月から11月まで、イタリア、西ドイツ、スペイン、フランス、スイスなどを遊歴する。
1953年(昭和28年) 62歳 東丘社第10回記念展に《メトロ》を出品。
1961年(昭和36年) 70歳 トリノ芸術家協会主催の個展を開催。
文化勲章を受章し、文化功労者として顕彰される。
第4回新日展の審査員をつとめ、《交響》を出品。
1962年(昭和37年) 71歳 パリやニューヨークで個展を開催。
1963年(昭和38年) 72歳 大阪大司教区・聖マリア大聖堂壁画を描く。
1965年(昭和40年) 74歳 社団法人堂本美術館を設立する。
1966年(昭和41年) 75歳 10月、堂本美術館が開館する。
1973年(昭和48年) 82歳 ローマ法王パウロ6世の委嘱により、バチカン近代美術館に飾る《母と子》を制作(翌49年完成)、聖大十字シルベストロ大騎士勲章を受ける。
1975年(昭和50年) 第32回東丘社展に《善導大師》を出品、これが絶筆となる。9月5日、死去。
松寿院願誉妙誓印象大居士をおくられ、下京区宝性山妙厳院(浄土宗知恩院派)に眠る。
1991年(平成 3年) 堂本美術館が社団法人堂本美術館より京都府に寄付される。
1992年(平成 4年) 4月、京都府立堂本印象美術館開館。